一般職への就職希望女性増加を通じて考えてみる「一億総幸福」時代の目指すべき方向

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タイトル:東大卒でも!一般職への就職を希望する女性増加 女性が活躍する社会とは

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記事の概要

現在、一般職を希望する高学歴女性が増えている。

 

以前であれば一般職といえば「数年勤務してから寿退社」というイメージで語られることが多かったが、最近ではワークライフバランスの重視を理由に一般職を希望する女性が増えているようだ。

 

また企業側においても簡単な定常作業は派遣社員に任せ、非定型的で難易度の高い作業や機密性の高い作業を正規雇用者に任せようという風潮が強まっていることから一般職に期待される業務内容も変わってきている。

 

一見女性にとって働きやすい環境が整備されてきているようにも見える。だがその一方で高学歴の優秀な女性たちが総合職を目指すのではなく、一般職へ流れてしまう現状は必ずしも女性が活躍できる社会になっているとは言えないのではないだろうか。

 

そもそも「活躍」する必要があるのだろうか。

この記事を読んでいて思ったのはそもそも「活躍」とはなんだろうかということだ。一般的に「活躍」と言えば仕事で期待される成果を挙げ、高い給料をもらい、会社の中で出世していく状態のことをイメージすると思う。

 

では「活躍」した先にある目的とはなにかと考えた場合、それはずばり幸福になることだろう。逆に「活躍」したところで幸福になれない、もしくはもうすでに十分幸福な人間にとって「活躍」などというものはただの苦行でしかない。

 

ましてや現実問題としてビジネスというのはある種の弱肉強食の世界である。高度経済成長期のような例外的な時代を除けば活躍できる人間とまったく活躍できない人間に分かれてしまうのが普通である。

 

そのような一部の勝ち組しか幸福になれないような社会を目指すことに意味などあるだろうか。皆が各々の幸福を追求するほうが現実的かつ比較的容易に幸せになれるのならばそちらを目指すほうが合理的である。そういう意味において女性が一般職を目指すというのは十分にありな話だと思っている。皆が活躍すべきなどという外野の意見はただのエゴである。

 

もし優秀な女性に活躍してもらいたいというのであれば、彼女たちが望む待遇と職務範囲において重要かつ難易度の高い仕事を任せればいいだけの話である。その気さえあれば難しい話ではないはずだ。

 

ちなみに余談ながら僕はスーツ(制服)というものが嫌いだ。組織から首輪をつけられているような窮屈感や規則を押しつけられている感が僕を非常に不愉快な気分にさせるからだ。早くスーツなんて無駄なものを着なくてもいい会社に移って幸せをつかみ取りたい。。。